不登校と向き合って 2
入院はせず、学校に週3日行くようになった娘。
最初のうちはニ、三時間行っていた。
10時くらいから1時くらいまで、
ホットスペースという不登校の子の部屋で、空いている先生に勉強を見てもらったり、一人でプリントしたりだった。お昼もそこで食べたりだった。
短い夏休みもあったりしたが、基本週3日をずっとがんばって行っていた。
通常は5月の運動会が10月に延期なっていて、運動会の練習や、飾り付けの準備が始まり、その準備も兼ねて、給食と昼休みを同じクラスの子が5人くらいきてくれて、一緒に食べて、一緒にお花を作っていたらしい。
運動会は午前中だけだった。私はPTAの役員なので早く行かないといけない。早いが娘と息子を連れて行く。先生にも当然言ってあるので、別室で待機。
運動会が終わるまでどうにか半日学校にいてくれた。
終わった後もお友達と給食を食べていたが、辛かったらしく、結局、それはやめてもらった。
娘は事務の先生と用務員さんと給食を食べていた。
ちょっと多い人数で話をしていると情報が多すぎて処理できなかったのではないかと今は思える。
教頭先生はプリントとかだけではということで、リモート授業を用意してくれたりした。
聞き取れないことも多いらしいが、教室の様子が見られるのはそれなりによかったようだ。
そんな状況がずっと続いた。週3日はキッチリと行く。
教頭先生に一月から週4日行くようにがんばると話したりしていた。
しかし、実際一月になったら、週3日が精一杯だった。六年生は目前。
娘の通う小学校は町内唯一私服の学校。
制服を着るというハードルと、みんな田舎ののんびりした子なのか中学に上がって、不登校になる子が多いらしい。
先生達もそれを心配していた。そして私も、なかなか一歩前に進めないので、何かしないといけないのかと思っていた。
再び入院の話になった。
前回は入院させるつもりだったが、まさかの小児科の先生の話で二択になり、週3日の登校となった。
今回は、カウンセラーの先生、小児科の先生に先に入院の方向で話をしてほしいとお願いしたのだった、
カウンセラーの先生は最初は今更?みたいな反応だったが、前向きな入院になるよう話をしてくださいと言われた。
小児科の先生は、娘が素直に頷くかと言って、心配していた。動機付けが大事だとやはり言われた。
入院先の今の病院に電話しておいたので、三月は入院できそうという話をもらい、枠を押さえてもらった。
そして一ヶ月かけて、娘に話をしたのだった。
娘も学校に行かないとと思いつつ踏み出せない自分をわかっていたので、途中からは行く気になったのかもう何も言わないでと言っていた。
こんな感じで今回の入院に至ったのだった。
今日のアイキャッチは、入院の前に二人で飾った雛人形。息子の五月人形は飾ってないな。
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