不登校のはじまり。

2021年5月24日

娘が小学校3年生の2月くらいから、頭が痛い、お腹が痛いと朝から訴えるようになった。

かかりつけの小児科に受診して、痛み止めとかをもらってきていたものの、それは4年生になっても続いた。4月は学級委員に、立候補し、学級委員になったものの、6月くらいからは1日1時間しか学校に行けなくなっていた。原因は全然わからない。友達関係を疑うものの、わからないまま。

かかりつけの病院にある病院を紹介してもらい、両親に連れて行ってもらったが、イマイチだった。

別の病院を紹介してもらっていた。そこが今の病院につながっている。

そこで、私も疑っていた規律生調節障害の検査を受けて、普通よりちょっと重い規律生調節障害と言われた。

そこの小児科の先生の勧めでカウンセリングを受け出した。

その時は娘が相当辛そうだった。無理に行かせるのもどうかと思い、学校に行かなくていいと娘に告げ、校長先生と担任の先生にしばらく休むと話をした。

家で自由にさせ、私の休み次第ではあったが、月一か、二ヶ月に一回カウンセリングに通った。

そのカウンセラーの先生が現在の入院先から来ていた。

規律生調節障害なので、最初の頃はメトリジンを朝夕飲んでいた。血圧を上げる薬。

ある程度すると少し元気になってきたようだった。

痩せすぎではないが、痩せすぎた痩せ気味の境くらいの体重が、徐々に普通に近くなってきた。

ピアノはやめたいと言うので、やめさせ、乗馬のできる施設を見つけたので、連れて行って、引き馬に乗せたりした。

本当は動物好きなので飼いたいようだったが、なかなかそれは私が思い切れなかった。家も建て直したばかりで、動物を飼うことの大変さは既に経験済み。

拾った犬2匹と拾った猫3匹を、我が家はこれまで育てたことがあるから。お金もかかるし、犬なら朝夕散歩に連れていかねばならない。時間が・・・。

というわけで馬はどうかなと連れて行ったのだった。

引き馬は、クラブの人が手綱を握って馬を誘導してくれるもの。

そこから一人で乗るというのもできるので、体験させた。

楽しかったらしく、そこから会員になり、乗馬をはじめた。

ピアノも同じくらい費用もかかっていたので、やめた分を回せばと思ったのと、アニマルセラピーにならないかと私が思ったのもある。

少し元気が出てきたので、カウンセラーの先生の勧めで、フリースクールとか適応指導教室を模索し出した。

同じクラスの子でフリースクールに通っている子が既にいた。その子の家に遊びに行ったこともあり、紹介してもらって行ってみた。自由で考え方もよかったが、連れて行くのが正直厳しかった。娘も多分それを察したのか、特にここに行くとは言わなかった。ちょっと申し訳ないかんじ。

適応指導教室は家から車で5分くらいのところ。

行けば出席にもなる。一応、今は行かなくても卒業できると小児科の先生に言われていたものの・・・。

そこは多分娘は建物の雰囲気と匂いがダメだったのかも。匂いがダメと言っていたが、それは私もなんとなく理解できた。

ダメと言いつつ、そこに母が連れて行ける時はたまに通っていた。先生が二人いらしてとても立派な先生だった。だいぶお世話になった。娘の心に寄り添いつつ、ここに通ってこれるよう色々考えてくれていた。通っている子は中学生ばかりで、小学生は3名登録しているが来ているのは娘だけだった。中学生もそうだが、やはりなかなか連れてくるのが難しいような話だった。働いている親だと連れて行けないのだ。我が家はまだ幅が協力してくれているから連れて行けているだけ。とはいえあまり気乗りしないらしく、ごくたまに行っていただけだった。次第に勉強出来そうな感じになり、先生が普通は午後からの適応指導教室なのに、午前中1時間勉強を教えてくれたりした。

中学生だけとはいえ、みんな優しいので、たまにとはいえ通っていた。月一にパンを作ったり、ケーキを作ったりとイベントがあったりしたから。私も一緒に参加させてもらったこともある。

無理をさせないようにして、半年くらい経ち、娘がちょっと自分の意見が言えるようになってきて、元気が出てきたかなと私も周りの人も思うようになってきた。

元気になってきたものの、適応指導教室もあまりいかないし、カウンセラーの先生から入院の話が出たのだった。まだ四年生だしなとあまりその時は考えていなくて、はっきりとではないが断った。

そんな中、四年生も終わりに近づいていた。

これまでもカウンセリングから帰って、学校に内容を伝えに行くことがあったのだが、この時だけは忘れない。

校長の話を。

「娘さんを進級させたいですよね?」

学校には確かにほとんどいっていない。

校長が言うには、「まだ、進級させないという決定権が私にはあると。」

これは脅しかと思いつつ、表面上は、「それはもちろん進級させたいです」と答えた。が、不登校の子を余計学校に行かせなくしたいのだなと思った。元々あまり好きではない校長だったし、評判もよくなかったが、やはりって感じ。

家に帰って、県かどこかに訴えようと思い、父に相談すると、父は教育委員長を知っていた。

私の話を通してもらった。

そのあとコロナで学校事態が休みになったのだった。

 

アイキャッチは元旦那の家で飼わせてもらっている文鳥。