教育実習の思い出。

今日からまた仕事。

コロナワクチンによる発熱はおさまり、腕が痛い、ダルいくらい。頭が重いが天気のせいかもしれず、ここはわからない。

今日は家庭の諸事情で娘は学校に行けず。

私が仕事してるからな。申し訳ない。

教頭先生が迎えに来てもいいと仰ってくれたが、多分それでは行かないと思う。一応、帰ってから聞いてみようとは思うが、帰る時間が自分の帰りたい時間にならないから。

しかし、学校の先生はすごい。もう一人の不登校の子を送り迎えしているのを見かけたから。

小学校の先生は今はなり手が少なく、倍率も下がってきているらしい。それはなんとなくわかる。

長期休みの時は定時で帰ってることが多そうだけど、他は大抵残業。

金曜も息子の担任の先生と話している時に、ちょうど、教育実習に来ていた先生たちが帰るところだった。息子の担任の先生がブラックなのにと話していたので、やはりそうだろうなぁ。

その教育実習にきている先生たちをを見て、自分の教育実習を思い出す。

私は高校に行ったが、朝課外があって、7時くらいから勤務みたいな感じだった。7時半からの課外のために、7時には校門に立って、挨拶していた。

夕方は何時に帰ったか、ハッキリ覚えていないが、夜遅くまで授業の準備をしてのは覚えている。

なんかあっという間に終わったような気がする。

あまり覚えていない。

塾講師を既にやっていた人は上手かった。

その子は塾講師になると言っていた。

その時、7人くらいいたが、みんな先生になってはいない。

私はまともな授業はできなかったんだろなと思う。

みんなよかったよって言ってくれたような気がするが、どうだろう。努力はしたんだけどね。

あとは覚えているのは、最終日に寄せ書きをもらって、感動して泣いたことだけ。先生って大変だけど、いい仕事なんだなと思った。

が、その年、私の県では高校地理歴史の採用がなく、普通に就職してしまったのだった。

まだ、仕事の大変さがわかっていなかったのかも。

どの仕事も大変だということを。

まだ若かったなぁと思う。

 

お昼のテレビで、書道家の武田双雲さんのお子さんが積極的不登校というのをやっていた。

うちとは、不登校の理由も家庭のレベルも違うので、それを認められるからすごいなと思う。

そうしてあげたいが、中途半端な対応。

なんだかなぁ。